信州たかやまワイナリー(長野)

2018年5月11日取材 

鷹野永一(醸造責任者) 


-高山村を世界に名だたる産地にしようと取り組まれています。 

鷹野 はい。まずこの地をワイン産地にしていきたい。まだ200分の20がはじまったばかり。ワイン産地になるためには大体200年はかかると言われています。ボルドーもそうでした。高山村でワイン用のブドウ栽培がはじまったのが1996年。20年ちょっと過ぎたところです。高山村でもうちを含めて4軒のワイナリーができて、ブドウ産地からワイン産地へとすすめています。ただワイン産地としては、はじまったばかりです。ここからどういうふうに産地形成をしていくか走りながら歩きながら、みんなで考えていこうと。中にいる人間の考え方とまわりにいる人からの見え方というのが往々にして違う。そのへんをいい影響を受けながら産地形成していきたいと考えています。ひとつは我々も飲む場、飲まれる場に出ていかなければなりませんし、飲まれる方、楽しまれる方が生産の場に来られること、相互のコミュニケーションが欠かせません。収穫の体験、畑の作業の体験、醸造の体験、いろいろなコミュニケーションができたらいいなと思っています。 


-鷹野さんはこちらに来られるまでは大手ワイナリーで醸造をされていました。 当時から高山村は特別な存在だったのですか? 

鷹野 そうですね。前職の時にいくつか契約畑がありました。その中で私が若いときに長野県の担当をしたのです。ですから一番最初に高山村で植えられたブドウをワイン造りの現場で仕込みもしているのです。醸造計画を立てる上で高山村の現地には何度も足を運んでいました。高山村のワイン用ブドウを一番見続けている醸造家という自負があります(笑) 



-他のところと違っていたんですか? 

鷹野 良い悪いではなくて特徴的なところがいくつかあります。そして何より栽培地の人達の熱量が違いました。生産物でなくて、その先をワインというものを見据えた熱量が高い地域でした。他の地域はワインに馴染みがないということもあって、先を見通す、興味を持つ、それをワインとして評価するというところまで至ってませんでした。高山村は「俺のワインはどうだ!」というのが特に強かったですね。意識の高いところです。ワイン産地を形成するのに一番必要な要素は気象条件がよく語られますが、日本に至ってはそれよりも「人」だと考えています。ブドウは生き物ですから、その環境に適合していこうという力は強い。そして適合するのに200年かかるんだと思います。江戸っ子三代と言われるように、ブドウも樹齢が60年くらい。ワインも熟成して60年くらい。そういう60年というひとつの単位の積み重ねが形あるものになった時、産地として多くの人から評価されるものになるんじゃないかなと思います。その中心になるのが「人」です。例えばボルドーだって、あそこも神から与えられた地ではなく、昔は海の底でしたからね。オランダから干拓使を呼んで水路を引いて、ブドウが栽培できる地を作った。人が何かしら自然に対して働きかけて、はじめて出来てきた。一方、セーヌ川の上流にあったトロワというかつてのワインの一大生産地ですが、現在は小麦畑しかない。フィロキセラの時に全滅しました。そこの地の人はブドウの次に何を植えたかというと小麦だった。やっぱり人が意志を持って何かの行為をした時に命運をわける。ワイン産地を作る時には「人」が重要なことではないかなと考えています。この高山はそういう人達が多くいる。磁石のように、そういう人達に吸い寄せられる人達も多くいる。 


-鷹野さんもそのひとりだったということですね。 

鷹野 そうですね。私は最後のピースです。20年のブドウ栽培の歴史があって2006年に「高山ワイン葡萄研究会」というのが組織されてブドウの栽培技術の研鑽がありました。そして村長の諮問機関的な形で「ワイナリー構想検討協議会」というのを起ち上げてワイナリーの方、ソムリエさんの方、この地にふさわしい形を検討してもらった中で、最終的に民営でやりなさいよという結果になった。村長は強い意志を持っていたので村営や第三セクターのように自分でやりたかったようですが。ワイン産地になるためには複数のワイナリーが存在しなければならない。それを担うのは技術者。技術者を育成する中核となるようなワイナリーが必要だという答申でした。その答申を村長が「高山ワイン葡萄研究会」に投げかけて手を挙げた方が栽培者13人でした。ワインを造ったことがないという人ばっかりなので高山村の産業アドバイザーの方から私に連絡がありました。それほど頻繁にあっていた人ではなかったのですがどういう虫の知らせか私にお声がかかった。私はもちろんいいワインを造ることを極めたいと思っていましたがそれに加えて、ワイン産地作りをしたいなという思いを持っていました。日本ワインのカリスマ的な存在である浅井昭吾(麻井宇介)さんの 

「ワイン産地になることが世界で日本ワインを認められるための確実な方法だ。そうなれば日本で造っていて良かったと言えるじゃないか」

という考え方に影響を受けていました。私は高山村がワインに関する新しいことをする時に常に立ち会ってきた。ブドウが植えられた時にも、研究会が組織された時にも。次の未来、この村がワイン産地になるために最後のピースとして収まるんだろうなと運命的なものを感じました。 


-自社畑という形ではないのですね 

鷹野 はい。6次産業のネットワークを形成するという考え方に基づいています。1次産業の方から調達して、3次産業の方にお渡しする。我々はその6次産業ネットワークを担っています。ですから、ワイナリーとしては1次産業(栽培農家)さんからブドウを購入するという形です。  


-ただ、ほぼ自社的な畑と考えていいですね

鷹野 このワイナリーのまわりの畑は「高山ワイン葡萄農園」という法人が管理していて代表はワイナリーと同じですからほぼ自社畑と呼べるかもしれません。じつはこのワイナリーのある場所は畑の造成工事が終わるタイミングで「やっぱり、ここをワイナリーにする」ということで農地から外してもらったんです。ですから、畑に囲まれたワイナリーになっています。 


-醸造家として持つ信念のようなものをお聞かせいただけますか

 鷹野 造りのフィロソフィーのようなものはあまり持っていません。これまでの知識と経験が逆に醸造の自由を奪うこともあるので特にこのワイナリーを手がけることになってからはフラットな気持ちでいるようにしています。最初から型にはめずにブドウと向き合って可能性を探る。そういう気持ちがここでは特に強くなっています。 


-たかやまワイナリーの特長は? 

鷹野 畑の区画が40区画以上あります。ソーヴィニヨン・ブランの場合、高い標高の区画で収穫された酸のしっかりとしたブドウに、標高の低いところで収穫した酸の優しいブドウをブレンドします。それぞれのキュヴェをブレンドすることでいろいろなワインの表現ができる。これが我々の特長と言えるところです。 

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